2019年6月13日 (木)

ベルダから20年。

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きっと”吉行あぐり”さんのような先生のパーマ屋さんだと思っていました。
実際は”吉行和子”さんのような竹を割ったような女性オーナーでした。
23年間営業を続けた美容室”ベルダ”のオーナー中村さんは那須にある別荘でのんびり暮らすと引退されました。
人づてでこのベルダさんを引き継ぐこととなりたくさんの”宝物”を譲り受けて20年が経ちました。
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この鏡台は43年愛用してきたことになります。
ベルダのオープンからいらしているお客様はヘアメークシーンで43年となります。
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最近こんなデータを知りました。
美容室の90%は3年で廃業する。10年間では95%の廃業率。
20年続けられる美容室は0.3%、30年では0.02%・・・驚きのデータです。

「20年続けられるなんてスゴイよ!」と賛辞をいただきます。

続けられたというよりもただ続いているだけでした。

たくさんの希望を抱いた20年前、現在の希望はというと顧客の皆さまの健康を祈り、引き続き定期的に転ぶことなく、安全に当美容室に通っていただくことで0.02%の美容室でありたいと願います。
そして 何よりも
自分自身が健康であること。
20年前、20年後の自分の抱負がこんなことであることは予想だにしていなかったです。でも大事なことです。


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2019年5月29日 (水)

令和元年、久之浜にて。

「ひさしぶりでねぇの。」
久之浜へは今年の1月にひっそりと秋葉神社にお参りに訪れただけで浜風商店街の方々とお会いせずに去りました。
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昨日は雨こそは降りませんが空は雲で被り、海風も強く波も荒い日でした。
021 震災から8年が過ぎ、大きな復興整備 はほぼ完了しております。
7月にはこの町の「波立海岸」も9年ぶりの海水浴場の開放となります。
常磐自動車道も全面開通、来年開催されるオリンピックの聖火リレーのスタートもします。
明るいニュースばかりです。のはずなのですが。。。

この町に通わせていただき初めて町の再生というものをリアルに目の当たりにしました。
「久之浜」は”被災地”という括りからは逸したのではないかと思います。
そして、今、僕が見ている町の状況は人口減少を迎え都市部集中により存続の危機に至る全国にある地方の町の様、そのものだと思います。
025 参院選に向けある政党が街頭演説を行っておりました。
「久之浜駅前ロータリーの皆さま。」と 聴衆が1人もいないこうした光景も日常のようです。
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大津波にも耐えた”秋葉神社”。
以前、花で咲き飾るプロジェクトがありました。その際のお花をドライフラワーにして僕のために取っておいてくださいました。
この神社は僕にとって他ならぬ心の信仰です。そのお花を頂けて。。。有り難や。。。

023 今回、ヘアメークシーンのお客様 皆さまからは31921円の募金をお預かりしておりました。久之浜の町にとってお役にたてていただけるようからすや食堂さんにお届けいたしました。

どんな情報もリアルタイムで入手できる時代になりました。
そんな時代だからこそ僕は”肌感”を信じます。自分の見たもの、聞いたもの、感じたもの、その感覚だけを信じていきます。
更なるスピードアップで令和は進んでいくのだと思います。
地方でしか感じることのできない本当の時間空を味わいながらこれからも流されることなく、見失うことなく、生きていきたいと思います。


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2019年5月22日 (水)

町田文学館ことばランド「お宝紹介」

  昨日の豪雨、暴風、町田駅からことばランドへの道中で靴の中までビシャビシャになっておりました。
町田ペンクラブ主催のことばランド「お宝紹介」。元・文学館館長であり現在ペンクラブ会員である守谷氏による解説とお話しでした。
ちなみにこのような畏れ多いクラブの僕は会員ではございません、こんな僕にお声いただきありがとうございました。。。

現在開催中の大日本タイポ組合展を学芸員の山端氏に一通りご解説いただきました。
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カタカナでナ・イ・キ。 コ・ー・ク。
そしてヘ・イ・セ・イ・オ・ツ・カ・レ。  おもろい。

 

その後、会議室にて守谷氏によるお宝紹介。
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とにかく興味深い貴重品の数々。
町田市ゆかりの作家さんの作品だけでなく、そうした作品に至るまでに参考にしていた作家さんの私物書、日記や手紙などまさにお宝の数々。
町田市に8年間在住していた作詞家・宮川哲史氏の生草稿の数々、教師だったということで問題用紙を作る藁半紙のようなものに書かれていました。その中の1枚「ガード下の靴磨き」。女優・宮城まり子さんはこの歌を歌うことにより障がい者施設「ねむの木学園」の創設に至ったと云われています。その伝説の生草稿が目の前に、、、。
何枚かの草稿をめくりながらペンクラブの方々が口々に「寺田さんこの歌よく歌ったな、この歌もよく歌ってたな。」
ペンクラブの会員であった元・町田市長の寺田和雄氏の歌がうまかったという伝説は聞いたことがありました。

格式のあるペンクラブの方々だからこそ許される地下1階と地下2階の重要書庫への入場。
遠藤周作氏が沈黙を書いたときの机に触れてバクバクしました。
温度と湿度を徹底管理している地下2階の最重要シークレット書庫、分厚い扉の先へはもちろん靴を脱いで入ります。
壮厳なその場所には僕の足跡だけがビチャビチャのけもの道をつくっていきます。なんてこった。
ペンクラブの方々のような品性を身につけ入会のお許しがくだるまでにまだまだ時が必要です。

町田で生まれ育ち、町田で子どもを育て営み。
それでも町田がさほど好きでもありません。
それはこれまでこの町の文化に目を背けていたからなのだと思います。
この町の何かに惹かれて多くの文化人が移り住まれて来ました。
そしてこの町から世の中を変えた数々の作品を生み出してきました。
そうした作品の数々を目の当たりにしてこの町にいたことを今更ながら誇りに思えた日でした。
40数年前、この町で生きていく決心をした両親に改めて感謝です。

町田市文学館ことばランド。かつて文化芸術の町と言われた町田市の匂いを是非、ここで味わっていただきたい。
心からそう思いました。

この素晴らしい施設の設立に尽力された元・寺田市長、作家・森村誠一氏、法政大学学長・田中優子氏 他 皆さま。
心からの感謝です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年2月 6日 (水)

掛川めぐり

ずっと行ってみたかった場所でした。
大学生の長男が春休みで運転免許取得合宿に掛川へと行っております。これを機会に息子に会うわけでもなく掛川へと行くきっかけをつかみました。
いわき、郡山、会津若松の福島ビック3を死ぬほど愛してやまない僕をわかってくださる掛川がご実家のM様は「店長さんがきっと気に入ってくださる街だと思いますよ。」と
お言葉通り。。。

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M様の立派な旧家から5分ほど、まずはねむの木村へと。
創立者である宮城まり子さんを全く知らない僕は先入観なしで訪れました。
いわゆる障がい者特別支援施設ということなのですが、目にしたそのコミニティー世界はプロトピアでした。
愛人であった作家・吉岡淳之介と設立したその世界は50年になるようです。

飾られている写真の宮城まり子さんを見ても誰であるのかがわからない僕でしたが漲る想い、情熱、愛。ギンギンに伝わってきました。

91歳、お母さんと呼ばれ今も車イスで園内を回っているようです。
ここにくればわかります、宮城まり子さんがスゴイ人であることが。


3000坪の敷地を保有するM様はこの町の過疎化を危惧されております。この町に限らず全国の地方の課題であります。
掛川が活性化してほしい。自身の暮らす玉川学園の街も活性化してほしい。その想いは真剣です。
ビック3も玉川学園も掛川も 沢山の人で活気づき、活性化してほしい!
たくさんの組織の方々がアイディアをしぼり出し打開を図ります、
ご当地キャラやご当地アイドル、B級グルメやポケモンGOなので沢山の方が訪れる街、外国人のインバウンドで賑わう街を目指し。
そこなのでしょうか?
この町に活性してほしい!そう思わせてくれる町であることがどれだけ素晴らしいことなのでしょう。
人が来なければ商売も成り立たず、朽ちていくのでしょうか。
その町を愛する方々は苦しくとも町を守り続けていくようにも思います。そんな思いをまた誰かが引き継ぎその町の魅力は受け継がれていくようにも思えます。
不完全というものが愛おしいもののように感じたりもします。
その不完全に全力の愛を注ぐ人達はなんて素敵なのだろうと思います。
そんな愛を注がれている人も町もなんて素敵なのだろうと思います。

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4番目のふるさとと呼ばせてください。
何度も来たい町です。


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2019年1月23日 (水)

平成元年、いわきから

この日の月がスーパームーンであったこと知りませんでした。
どおりで明るすぎるわけでした。



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この月の反対から昇る朝日を見るためにここまでやってきました。













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翌日45歳となる僕にとってここから得る太陽のエナジーは特別なものです。
昨年のこの時期、この場所から娘の高校受験合格を祈願しました。
この町の中学生が無事、志望校へと進めるようお祈りいたします。。。

平成最後の年。
何億回聞いているこのフレーズ。
30年前の平成元年、僕はいわき市民となりここの公立中学へと通いました。
県立高校へ行くために中学卒業2か月前に転入しました。
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中学校からほどなくして八幡神社があります。
30年前からはずいぶんと立派な佇まいとなり目を疑いました。
学校が終わるとまずこの神社の木の奥に隠れて泣いていました。それから叔母さんの家へと帰宅しました。
大好きないわきでの生活だったのですが耐え難いものがありました。
町田の人間でも東京からの転校生というレーベルでした。
いわきの中学生は坊主という規則でしたので生まれて初めて坊主にしました。
剃り込みが入っていたので坊主にしたことでより注目を浴びることとなってしまいました。
嫌な奴もいましたがいい奴ばかりでした。

平成元年というのは僕にとっていわきからスタートした年でした。
失態ばかりでした。
あれから30年ですがやはり、いわきは大好きです。

15歳の置き忘れてきた自分にやっと会うことがができました。

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2018年12月10日 (月)

2039年の自分。

世界は滅亡しなかった。
1999年の7月と言われていたノストラダムスの人類滅亡説。
滅亡前の6月に独立をして間もなく20年。当時、生後半年の長男は今月で20歳を迎えます。

小田急沿線でチェーン展開をしていたサロンで店長をしていた僕は当然、独立後の自分もチェーン展開への野心を抱いていました。
20年後のこんな自分は想像していませんでした。それでも"地域"との深い関わりを持てた濃厚な時間であったと思います。
平成の最後、清々しい気持ちでもあります。
25歳だった僕は来月45歳という潮目に浮いています。これまでの20年は失敗などではなく大切な財産であると。そう思えるこれからの20年に、模索していた目標に向かって行こうと思います。
信じてついて来てくださった大切なお客様、ご高齢でこの場所が"生きがい"とおっしゃってくださるお客様。
そして、今、グレイヘアを推し進めライフスタイルチェンジ中のお客様方々。
これからもお応えしていく責任があります。

時間という海原で潮目の良い流れに身を任せて行きたいです。

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2018年11月25日 (日)

昭和64年から

1週間が過ぎ。
先週の今頃、僕は夢を見ていました。
優勝者は天皇杯出場、天皇杯優勝は東京オリンピック代表へと繋がる、そんな社会人レスリングオープン大会において1勝でもあげれれば自分の何かが変われるはずだと強い気持ちで臨みました。
間違いなく風は吹いていました。超強豪選手はトーナメントの別の山でぶつかり合い、僕の山の強豪戦手は怪我で危険、シードの僕が迎える初戦は知名度の薄弱選手。
見えない力が最強のお膳立てをしてくれて。
あとは銀メダル奪取。
まさかの興奮状態でした。
そんな中での初戦敗退に頭の中の整理に時間がかかっているところでございます。
"完全なる不完全"。これまでの試合とは違い緊張もなく、自分の試合をモニターで見るかのように俯瞰できました。やるべきことがすべてわかっているのに身体が指令を訊いてくれない、動いてくれない、そんな中でも動けるトレーニングをしてきたはずなのに身体は応えてくれない。
この状態が本当の今の自分、 これ以上の自分はなくこれからもない。そう思えた大会になりました。
やりきったとは答えがたいのですがはっきりと区切りはつきました。
30年前、中学3年生の昭和最後の年に進路のすべてを投げ出して、あのときにこうしていればという思い、後悔の念を日々抱えながらこの齢ととなり。
平成最後の年にその答えをやっと見つけることできました。
誰かにここまでしてもらい、たくさんに支えられ、やればできるよ、君ならできたよ、俺ならできる そう思い込み続けて。
結果、今いる自分が自分以外何者でもなくおそらくこの30年が違う道のりであったとしても今の自分であったのだろうなぁと。。。

そして僕にとっての夢は叶えるものではなく見続けていくものである ということ。

怪我だらけの体をしっかり修復して迫りくる年末にはこれまで以上、ガッツリと仕事に励もうと思います。



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2018年10月14日 (日)

輝くグレイヘア

"Divesity"多様性。
グレイヘアという選択が静かなムーブメントです。
僕のワークコンセプトは創り上げる自然体ではなくその人のもつ自然体を活かしてライフスタイルの延長線上に磨きを創っていきたい。
女性が白髪を染めないことへの世間の視線はまだまだ厳しいものがあると思います。
そんな世界に挑み始めているマイノリティーの女性達がやがて増え続けていけばきっと世間の価値観も変わっていくものと思います。
僕自身もこれまでは同世代の白髪の女性に女性らしさを感じることはできませんでした。フリーアナウンサー・近藤サトさんのライフワークを知り一気にグレイヘアの女性に引き込まれるようになりました。
染めるオシャレと染めないオシャレ、そして何より自然を涵養していく内面の美しさですね。
数十年前、髪は長くなければ女らしくはないという時代でした。
ショートヘアの美しい女性の感覚がグレイヘアでもスタンダードな時代になり、グレイに輝く女性が溢れるようにもっと勉強をしてこれからのサロンワークを取り組んでいきたいです。

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2018年10月 2日 (火)

漁業の町

地方の地場を活かし、産業に繋げる経済の活性化。
過疎化の進む地方に対し国策なる事業に阿ることで地域の雇用の安定、国からの交付金などによる活性化。
どちらの策も地方創生です。

内閣の人事が発表されました。いわき市出身で被災地福島に精通する吉野復興大臣は外れました。
首相の適材適所と標榜する復興大臣には原発、憲法改正、集団的自衛権推などを推進される方が後任となりました。

原発事故から7年半、福島の漁港がやっと動き始めました。
防波堤工事や除染、廃炉作業以外の海を生業とする本当の地方創生が始まろうとしています。
原発汚染水は現在90万トン(タンク860基)、タンク保管場所が限界を迎えるということで多核種除去設備で浄化したとされるそれらのトリチウム水を海洋放出する計画でいます。
5つの対策を検討してきたとのことですが経費を抑えられ最も現実的である理由から海洋放出ありきのようです。
ちなみに海洋放出は34億円程度、新規に大型タンクを設置して収容スペースを確保して半減期まで長期保管の場合の試算は200~300億円程度。
200~300億円オスプレイ1基が108億円だから、、、
トリチウムはベータ線で放射線量は比較的低く、セシウム137の700分の1程度。
仮に人体に取り込まれても水分と結合するので体外に排出し易い。
全国にあるいくつかの原発からも40年間海洋放出しているが住人からの健康被害の報告はは出ていないので心配はない。
という見解らしいです。。
そして数日前、除去しきれていないのはトリチウムだけと言われていた90万トンの汚染水うち75万トンから実はトリチウム以外にもヨウ素129、ルデニウム106、テクネチウム99 その他まだまだ公開中であります。
さすがにここまで公表されて海洋放出はないかとは思うのですが
2020年までに復興を完了させることを義務づけされた復興相就任直前の東電からの公表出しまくりであったことが気がかりであります。。。

原発のある海でしょ?それ以上のことがあったのだから何を今更。という考えもあろうかと思います。
そんなことがあったから現地ではあきらめずに真剣に向き合ってきました。
だからこそもう二度と、1ミリも汚してはいけないのです。

どうか県外の方々にも常磐の海を守っていただけるようお願い申し上げます。

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2018年9月22日 (土)

パワースポットにて

やはりいわきはテンション上がります。002ここまでの道のりは良いものではなかったのですがいつも晴れ空で迎えてくれます。

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願いがあって久之浜にお参りに来ました。
この日は気鋭のIT社長が月に旅行するとの発表がありましたが僕にとっては月に行くような願いです。
秋葉神社では来週除幕式を行うという石碑の工事中でした。
009007_2後世の人達への警告とメッセージです。
津波は第2波が危険なのです、波が引いても決して戻らないこと。
012この神社にはたくさんの想いを打ち明け、叶えていただきました。

そう思い込み、自分を支え続けてくれている大事なものを見失うことがあります。

昔から感受性が強い方であったのだと思います。
いいものも決してよくもないものも たくさんのものを享受してきました。
何事もなかったように今を生きることが出来て。
そうしていられることは自分の持っている天授だと思っていました。
そうではなくて
よくないものに囲まれていてもいいものに守られていた力の方が強かったのだと。
ときおりいいものの力が弱くなるとよくないものからかばいきってもらえなくもなったりも。

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いいこと以上によくないことが起こることがあったりします。
よくないことしか起きてないときもあります。
見忘れているいいことに目を向け、改めて感謝をしなければいけないのだなぁと思います。

お彼岸だぁ。。。





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