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2009年8月 6日 (木)

-広島・ヒロシマ-にて

広島への原爆投下、約30万人の犠牲者を出したあの惨劇が64年前の今日でした。7割のアメリカ人は戦争終結のためには原爆投下は仕方なかった、「もし、あそこで戦争を終結させなければ犠牲者の数はさらに10倍以上になったであろう。」正義の国アメリカのそんな主張に日本人である僕でさえ一理同調してしまったり・・・。

日本史の中で幕末と太平洋戦争に関してだけは小学生の頃から特別興味がありました。そんなこともあり、以前から足を運ぶ機会がなかった被爆地広島を小5の長男、小1の長女を連れ、家族で訪れました。幾度となく映像で見てきた”原爆ドーム”世界遺産にも認定されたそのオブジェのような風貌は戦争の悲惨さというより、もはやなアートのような・・・。建築家、丹下健三氏によってデザインされた”平和記念公園”、世界各地から訪れる方々への日本を代表する平和のシンボルは国連のジュネーブを彷彿させます。素敵なデザインの”平和記念資料館”も何年か前から展示方法に関して刺激が強すぎるということからソフトな展示になったようです。がっちりとガラスに覆われた数々の被爆の傷跡からは残念ながらあの悲惨な匂いを感じることができませんでした。

平和記念公園と原爆ドーム、宮島の厳島神社、呉の大和ミュージアム、お好み焼きも食べ一通りの広島巡りの2泊を終え、明日の夕方には帰宅といったその日の夜、空調完備の快適なはずの高層ホテルでの就寝中、暑く苦しく目が覚めた。時計を見るとちょうど深夜12:00でした。まるで何かを訴えかけられているかのような・・・。その日の市内での買い物をとりやめ、忘れている何かをガイドマップで探し”袋町小学校旧校舎”にたどり着いた。当時避難所となっていたこの小学校の壁面にはたくさんの方々が安否の確認のために綴った名前や伝言などでうまっていたようです。階段を下り、この小学校の地下には当時のドアなどがガラスで覆われていないままの生の空気がありました。平和記念資料館では感じることの出来なかった重く切ない空気を感じることができました。

すぐ隣の”まちづくり市民交流プラザ”というところで8月7日までの期間、ある市民団体の方々で「 原爆と戦争展」が行われていました。戦争の悲惨さを物語る写真の数々とその日の凄まじさを物語る曲がった瓶や焼け焦げた弁当箱はガラスケースに覆われることなく手に触れることが出来ました。いくつもの生々しい写真はきっと平和記念資料館では却下されたものなのだろうなと思いながらこの展示品とともにゆっくりと心に刻みこんでいきました。普段は平和記念公園で修学旅行生に被爆体験談をお話している70代半ばのボランティアの方も数人、この期間はこの会場にいたようです。そのひと方がお話をしてくださいました。「8月6日の8時15分は勤労学徒で被爆地から3kmの三菱の工場にいた。けれど前日の8時15分は被爆地周辺にいた。その1週間前は登校中の100人の学生の群れに米軍の戦闘機の銃撃で隣で歩いていた友人を含め30数人が一瞬で死んだ。僕は生かされているんだ。」 こんな話をどれだけの人に話てきたのだろう。きっとこの方は毎回このつらい同じ話をしながら、毎回こうして溢れる涙をこらえているのだろうな・・・。 この方がこうして語り継ぐ活動を始めたのは70代を過ぎた3年ほど前だそうです。それまでは被爆者であることは後ろめたかったと・・・そういえば最近のNYタイムズでファッションデザイナー・三宅一生さんも同じことを言ってたっけかな。 原爆を体験したこの人に会えてよかった。この人のお話を聞けてよかった。そして東京から(町田だけど)この被爆地広島を訪れた僕達家族をここでがんばっている方々に喜んでもらえてよかった。

あの時、日本が無条件降伏せず、本土壊滅まで戦争が続いていたなら・・・。真珠湾を攻撃せずにアメリカと開戦していなければ・・・。戦争をせず、列強国の植民地として支配されていたならば・・・。こんなことを考えていた僕の中では「戦争終結のためには原爆投下は仕方のないこと。」このアメリカ人のセリフにもなるべくしておきてしまった事故のように捉えていました。隣国の核兵器の恐怖にさらされ、この国も武力を持って対抗すべし、そんな元自衛官幕僚長の言葉にもどこかで賛同してました。   現地を訪ね、生で感じ、溢れる涙の戦時体験のお話を聞けて・・・戦争は起きてはいけない。仮に隣国の脅威があったとしても起きてはいけない。核兵器は持ってはいけない、仮に隣国から核兵器での圧力を受けようとも日本は持ってはてはいけない。他国から武力行使をされたらどう対処すべきか?僕にはわかららないけど一つだけ言えるのは戦争は天災ではなく人災であるということ”戦争はしてはいけない。いけないものはいけない”強く心に言い聞かせ8月4日、あの暑い広島を発ちました。 永ちゃんの故郷はとてもいい街でした。。。P8020284 P8020285 P8020293

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