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2010年5月23日 (日)

強く

早朝4:30、妻が「どうしよう・・・右手が動かない・・・。」僕の手指骨折から3週間、水を使えず限定的ではありますが少しづつ仕事復帰を試みていた矢先でした。今日まで妻とスタッフ頼み、皮1枚で何とかお店を繋げていた状態でした。手首から先が動かない〝とう骨神経麻痺″、回復までには1ヶ月程度とのことでした。僕の左人差し指から突き出ている銅線もあと1ヶ月、絶望でした。2週先まで入っているお客様への対応もさることながら もういいかぁ とあきらめモードになりました。なす術なし・・・。自営業はもう限界だ・・・閉めよう・・・

10年来のお付き合いになる女性整体師の先生、20代でぎっくり腰を2回している僕の肉体改造のプロデューサーでもあります。36歳の僕はこれまで長い付き合いだった職業病である腰痛、腱鞘炎、この先生のアドバイスで克服しております。女で一つ、そのマジックハンドで女子2人、男子1人・・・を育てあげたそのパワーにも魅了されております・・・。4~5年前の突然の訃報、1人暮らしを始めたばかりの大学生のご長男を交通事故で亡くされました。最愛の1人息子さんを失った悲しみは僕には想像することすら出来ません、半年以上は整体業務には関われませんでした。僕が再びお世話になったのは事故から8ヶ月くらいだったと思います。現在、先生の整体技術はあの悲しみの事故前よりも遥に別のレベルに超越しています、知識、技術、それ以外の何かもパワーアップしております。

絶望に浸れている僕は妻の〝とう骨神経麻痺″は先生に相談するほかないと早速電話を入れた「あぁ、それ治る、大丈夫。そんな患者さんばっかりだから。」 さっきまでの絶望感がなくなった。 妻の手が治ると聞いたからでは決してなくて。。。僕の人差し指はあと1ヶ月で回復する、妻の右手も1ヶ月で回復する、お店もある、待ってくださるお客様もいる 家族もいる。何も失っていない。なぜ軽々しく〝絶望″なのだろう、相変わらず自分の見事なまでの小粒ぷりを自覚した。失って強くなった人がいる、何も失ってない僕はもっと強くあるべきだと・・・。

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2010年5月13日 (木)

ワンダフルライフ

手術中は患者の緊張をほぐすためか医師も結構話しかけてきます。「自分のお店だと、しばらく休業するよう?」「そもそも何でレスリング始めたの?」「へぇー、お子さんと始めたのに自分だけ続けて、大会なんかにも出てるんだ。」「え、今はお子さんサッカー?でお子さんのチームでコーチもしてるの?」「自分でお店持って、レスリング満喫して、お子さんのサッカーのコーチもして。。。」 確かに傍からみればなんててすばらしいんだろ・・・子どもが男の子と女の子、去年、念願の家も建てた・・・なんてすばらしいんだろ。モニターで自分の指にずぶずぶ刺さる銅線を見ながら意識が遠のいてきた、「看護婦さん、意識がなくなりそうなんですけど大丈夫ですか!?」「え!寝ちゃっていい!?」 寝たら死ぬ、本気で思いました。(待てよ、死ぬって走馬灯のように人生を振り返るってよく聞くぞ・・・確かにすばらしい人生だった、だけどまだ・・・)(あぁ、そういえば手術前の同意書にこんなことで死んでしまうことも稀にあるようなこと書いてあったぞ、俺、同意してるんだ・・・)(これ寝ちゃったら死ぬんだきっと・・・)(指の骨折で俺は死ぬのか・・・どこまで小粒だったんだろう・・・)(絶対寝るもんか!) などと考えている間に手術は終了。生きてるってすばらしい。生きてるから痛いんだ、すばらしい。などとまるで南方での戦地から生還したくらいの勢いで生きてる喜びを噛みしめていました。指1本で・・・。

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2010年5月 7日 (金)

1週間が経ち

以前勤めていたサロンでの全従業員50名ほどが集合しました。1人1人がそれぞれ自分のビジョンを皆の前で発表しながら鼓舞していくというよくあるアレです。都内に負けないトレンドを発信するとかコンテストで入賞するとか売上目標を達成するとか・・・。社長も注目の僕の番、「今年こそレスリング社会人段位別で優勝します!」50名の失笑で目が覚めました・・・夢だったようです・・・。先週、指を骨折して形成外科での今日が初受診でした。やはり事態はかるくなかったようです、医師「針金3本の手術で済めばいいけど場合によっては骨を露出させてプレートで固定します。」「それって何か怖いですね・・・。」医師「木口道場行ってるんでしょう?山本キッドとかが酔っ払った方が全然怖いでしょう?」て答えの意味が全然がわからなかったです。。。第一会わないし。。。とにかく自分の失態に嘆く日々です、とういか半ば開き直ってもきましたが・・・かくしてこれから6週間、髪結いの亭主生活はまだ始まったばかりです。

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2010年5月 3日 (月)

我 怪しい・・・

我、怪しいときにおこるものだそうです・・・。レスリングをはじめて6年間、大きな怪我がなかったことが不思議だったのかも・・・。肋骨を折ったり、腕の靱帯を損傷したり、それでも僕のサロンワークには何とか支障はなかったです。日常的に練習中での他の選手の怪我は顕著で、この先いつ自分の身がという危機感はあり、これからの継続への不安は感じていました。つい2日前にかかりつけの整体師さんとも指先の怪我での仕事への重大性、神経の感覚の大切さについてお話を聞かされていた矢先の練習での事故でした。今思えば思い当たることばかりです。これまで大きな怪我がなかったことゆえ自分が人よりも柔軟であるかのような過信と無理をしない割り切りを身につけていたかのようなおごり。いつしか自分の生き甲斐になっているレスリング、自営業ゆえ、どこかで怪我のリスクの高いこの競技への決別、どこかでそのきっかけを模索していたような気も・・・。自から入ったイメージどおりのタックル、左手でマットをステップアップした瞬間のいやな音でした。この痛みが爪の剥がれた痛みで終わってほしいとただ願うばかりでした。レントゲンの結果は美容師としての致命傷の左手人差し指のマリック骨折、すぐに浮かんだのが妻の"憤怒"の顔。。。6週間の固定、手術は連休明けの傷口がおさまるまでの保留。心の傷の方がはるかに深い・・・。何をどう整理していいのかパニックで整理がつかず、お客様への対応もどう説明していいものかどもるばかり・・・。申し訳なさと情けなさと悔しさと侘びしさと・・・全てのネガティブな表現があてはまる今現在です。一つ救われているとすれば妻が同業の"美容師"であること。まさか憧れの"髪結いの亭主"にこんな形でなれるとは。。。今は妻にリスペクトです。

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