いわきで育ち・・・
上野発、常磐線、スーパーひたち。ひたち工業地帯を過ぎると右手に広がる一面の太平洋、うれしくて涙が溢れてくる。終点のたいら到着が間近に迫ると高鳴る胸の鼓動が限界になる。列車を降りて改札に走る、いつものように向こうで待っていてくれるのが大好きな母の妹であろ叔母。いわきで過ごす夢のような楽しい時間、帰路に向かうスーパーひたちでは左手に広がる太平洋が通り過ぎると隣の座席の知らないおじさんの目もはばからず、いわきを離れる淋しさでひくひく嗚咽・・・これがいつもの僕のいわき行き帰りのお馴染みパターンでした。いつかまたいわきに住みたい、祖父も祖母も他界後、母の実家は既にないのに今でもその思いは強いです。
悪夢から1週間、壊滅の小名浜港に追い打ちをかけるかのような原発の恐怖・・・悲しいのかくやしいのか何がなんだかわからない・・・。危険度のレベルは国内最大の5になってしまった。最大の危機にさらせれているふくしまの中継を横目で見ながらする仕事、ある記事には〝放射能汚染、福島県民見殺し〝とまで・・・切ないのか悲しいのかくやしいのか何が何だかわからない。
玉川学園地域は計画停電の対象外だったらしい。計画停電エリアの皆様には本当に恐縮なのですが停電の心配なく仕事に没頭できる、この環境は最高に恵まれた条件なのだと思う。なので自分の与えられている役割、仕事を最低限の電力で感謝しながらさせていただくことを使命と考えるほか今はないのかも、いわき、ふくしまの安全を祈り、今は目の前のこれしか出来ない自分の仕事を感謝しながらこなし、東北地方の復興に少しでも力になるんだという強い気持ちで大事に毎日を過ごしていこうと思います。
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