ある村で・・・。
もとから貧しいこの村は日本の敗戦後の貧しさもさほど感じてはいないようでした。豊かな海と自然の大地には恵まれていたので・・・。4人の幼い子供たちもやがてこの土地を離れ上京してしまい、夫婦2人で畑を耕し細々暮らしていくことが自然な幸せだと思っていました。住まいの近くには戦時中使われていた軍施設がありました。敗戦後、大手土地開発企業が買い取り、その後、国をあげて日本の首都供給のエネルギーの源の建設の話が持ち上がります。西に1000km、20数年前に広島・長崎に投下された原子爆弾の多くの人たちの後遺症もまだ冷めやらぬその恐ろしさを東北の純朴な人々は国の言う「絶対安全!」という言葉にわずかな疑いしかもたなかったようです。何よりも、やがて親もとを離れ上京してしまう愛する4人の我が子が住まいからわずか数kmで天下の〝東京電力〝の関連会社への就職を約束してくれる。戦後の日本の経済発展の中心エネルギーをこの村で我が子たちがつくり、そしてやがてできる孫たちとこの村でともに過ごせる夢のような生活、まさに〝原発〝は夢と希望、そして家族の幸せのエネルギーだったはずです。
どこから間違えてしまったのだろう?誰が間違えてしまったのだろう?僕は何を知っていたんだろう?
自分に出来ることは何なのだろうか・・・。
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