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2011年10月29日 (土)

これから

震災、放射能汚染、円高、不況・・・。何かしたい、何かになりたい。くすぶり続けていました。それぞれがそれぞれの立場でみんながんばっている。美容師である僕に出来ること?サロンを休業して被災地に出向いてボランティアカット?1日何人?いっそ福島に出店?その土地に確立していたサロンのマーケットを乱してまで・・・?全国30万店以上、既に飽和状態、減りつつある人口の中で限られたキャパシティ、その中でお客様を取り合うし烈な業種・・・自分はこの国の未来にとって何者なのだろうか・・・。

国力を保つために資源のない島国の我が国は輸出製品を海外に買ってもらうこと、相反し農業分野での自給率のアップ、そういった意味でのTPPの複雑さにはお手上げです。ところで僕の職種はというと・・・?

息子のために買ったのに屋根裏に眠っていた地球儀を引っ張り出して毎夜眺めています。自分も海外輸出に関わりたい。外貨をこの国に持ってきたい、そんな思いが募ります。そうだ!サロンを輸出しよう!今、最もエネルギッシュなアジアで勝負しよう!そんなことを言うと海外に引っ越してしまうの?お客様からは懸念されてしまうかもしれませんがもちろんベースは玉川学園〝ヘアメークシーン〝すべては今、この場所のために! なんて漠然な想いなのですが・・・まずは思うことから。

いざアジアへ!!ってただの思い付きで少し満足してるだけなのですが・・・。

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2011年10月16日 (日)

してあげたかったいくつかのこと~嫁編~

プロポーズもしたのだかされたのだか記憶も曖昧です。6歳年上の頼れる姉さんでした。結婚14年、日に日に目障りになってました。やかましいしあつかましい、そのうえ酒癖も悪くくどい。。。いつしか単身赴任の男性に憧れを抱いていました。

妻の手術が近づくにつれかけがえのない存在であることを身に染みました。どこにでもあるさほど大きくない手術なのですが日ごとに心配が増し、いろいろなことを考えてました。考えられなかったことはただ一つ、妻がこの世にいなかったらということ。

たくさん旅もしたいし、ダイヤの指輪もあげてないし、してあげてないことがたくさんありました・・・。「この先は何も心配しなくていい、俺がずっと守るから。」手術前日に14年前にも言わなかった自信0%のキザなセリフを伝えました。

昨日、退院した妻が元気に自宅に帰ってきました。きっと、また、もう間もなく、あの酒癖でからまれる毎日が始まるのだと思います。でも、自分に言い聞かせます、「目の前の女は何かに憑依された妻の容姿をした得体のしれない何かなんだ。」本当の妻は弱々しく手術後に僕の手を握り締めていたあの妻なんだ・・・。そう言い聞かせながら自分の言ったセリフに責任を持ち、更なる十字架を背負いながらこの先の人生を歩んでいきたいと思います。

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2011年10月14日 (金)

してあげたかったいくつかのこと

自分が親になったら子どもにしてあげたいくつかのこと、いったいいくつしたあげれたのだろう・・・。寝る前に母親に読んでもらった絵本の数々、その内容は今も鮮明に覚えています。度々夜勤のある仕事だった母だったゆえにその貴重な時間はとても濃厚なものでした。

妻が入院中のため9歳の長女と今更ながら一緒の布団で寝ています。寝る前の僕のお話をとても楽しみにしてくれています。うろ覚えの記憶をたどり自分なりのフィクションを加え〝走れメロス〝〝くもの糸〝〝大きな木〝etc・・・娘の期待を裏切りまいとなんとかそれなりにこなしてきました。いよいよ明日は妻の退院です。娘と一緒に寝る妻の代役も今晩が最後となります。最後のお話は〝100万回生きた猫〝と決めています。オリジナルストーリーのアレンジを仕事中、お客様との会話もそっちのけで考えていました。

やがて娘が母親となったとき、我が子どもにしてあげたい1つになってくれればいいなという想いをこめて今晩のラストストーリーを語ります・・・。

100万回生きたねこ (佐野洋子の絵本 (1))

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