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2012年6月11日 (月)

未来へのタックル。

大好きなヨーロッパサッカー、世界のファンタジスタが決めるそのビューティフルゴールはまさに芸術。そのス―パーゴールに勝るとも劣らないのがレスリングの正面タックルだと思ってます。体と体でせめぎ合う超圧力の中、超高速での一瞬のタイミングで鍵がはまるようなあの感触・・・。鳥肌ものです・・・

水戸で行われた全国中学生レスリング大会、4年ぶりにレスリングを再開して2か月、この場違いな大舞台に我が息子が木口道場のコーチ陣の温かい後押しにより出場させていただく運びとなりました。僕自身、このような全日本の舞台に選手の父親として参加出来たことだけでお腹いっぱいで苦しくなってしまいました。息子の出場階級にはなんと全75選手。プログラムを見たら目が回りました。2分間3ピリオドのトーナメント方式、大半が1学年上の3年生、運良く1勝でもできればと思って会場に向かったはずだったのですが・・・。1回戦であたった岡山の3年生、完全に力負けで1ピリオドで6失点、迎えた2ピリオド、渾身のタックルに入り抑え込まれ力尽きてのフォール負け。見事に散りました。。。。試合を振り返り、来年への経験としては最少失点で粘り3ピリオドフルに戦い抜いた方がよかったのか、フォールで終わったとしてもタックルに行けたことが良かったのか・・・?

自分を振り返りあのときああしておけばということだらけの人生のように思います。突発行動の性格上何事も突っ込んで自滅してきたことが圧倒的に多いです。「何であのときあんなことしたんだろう…。」 しかしながら数少ない「なぜ、あのときにしなかったのだろう?」というしなかった後悔はしてしまった後悔の数倍の悔いが残っています。何ともいえない胸に閊える濁った後味の悪さは思い出すたびに苦しくなります。。。。

水戸の会場、往復7時間。息子1人の出場のために多忙な木口道場最強のコーチ陣4人にご参加いただき・・・。試合時間はわずか3分間・・・・。ビデオに収めたたった3分間ですがこの映像は僕の宝物になります。無残に散ったあのタックルは13歳の息子にとって来年のこの舞台へと、そして5年、7年、10年、社会というもっと大きな勝ち抜き戦の舞台へ立ち向かうとき その扉をこじ開けるための材料として何度も再生して息子と共に見直していきたいです。 

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2012年6月 8日 (金)

中国の扉

アジアに出たい。何のノウハウもない僕が目を向けた先は親日で比較的日系企業の成功率も高い無難な台湾でした。10年前に進出し、大成功を収めている美容師さんからは自分の甘さへの苦言をいただきました「台湾に骨を埋める気があるのか?日本で出来ないことは台湾でもできない。」 痛感しました・・・。

台湾人のすごさは国土が小さい分、様々なスキルを身に着け各国の語学を武器にそれぞれが中国本土をはじめ世界各地へと勝負に出る、外貨を稼ぎ、そうした人々が台湾国内の経済成長を押し上げる。世界の所得番付ベスト100人に人口2200万たらずの台湾人が3人くらい入っていることにもそのすごさを伺えます。その経済成長の間でうまく商売をさせていただけたらありがたやと甘い考えをもっていました。実際に台湾現地を目の当たりにしたことで僕の考えは変わりました。あのスゴイ台湾人と同じように勝負がしたい・・・。骨をうずめる覚悟・・・?九州ほどの大きさの国で灰になるのではなく4000年の歴史の最大大陸で灰になりたい・・・。

何から始めればいいのかわかりません、でもいつも強く想ってっています。そんな願いが叶い今日は日本語・中国語の通訳をされている中国人のお客様がいらしてくださいました。一人でも多く接したいし、その髪質にも触れさせてほしい。そして「NHKテレビで中国語」を勉強中の僕にたくさんの修正アドバイスをいただきました。やはり声調は難しい・・・夏には息子と北京を旅してきます。当面の目標は北京でかっこいい〝値切り〝が出来ることです。きっと息子もそんな僕に「爸爸、太棒了!!」  それだけでいいかも。。。

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2012年6月 4日 (月)

いわきの風

いわき到着は深夜1:30でした。震災後、ようやく訪れることができました。郡山で生活している幼い頃からの大の仲良しの双子の従姉妹ともようやく会うことができました。彼女達のお父さんのお悔みのためにやってきたいわき、こうした機会でもなければまだまだ先になっていたことを思うと他界した伯父さんにはお別れのあいさつとともに呼んでくれてありがとうと感謝を伝えました。

お骨の帰宅とともに塩谷崎灯台から3km、いわきニュータウンの伯母の自宅に初めて足を運びました。有名な建築家がデザインをしたらしいモダンな邸宅には海からの気持ちのいいいわきの風がそそぎ、この何ともいえない心地良さこそが〝いわき〝であることを実感しました。ここから数十キロ先に今もなお世界を震撼させている第一原発が存在しているとはとても考えられません。久しぶりにあった福島の親戚の人達、きっともう放射能の恐怖の話は尽くしてしまったのでしょう。こうした話題には一切触れずに少ない時間を思い出話で過ごしました。きっと福島の方々は僕らが思ってるいる以上に今ここにある現実だけを直視して生活をしているのだと感じました。瓦礫の受け入れ拒否で騒動となっている市町村が放映されます、おそらく現地の人達はどっちともなく冷やかに見ているものと思います。そんなネタで騒ぎ立てて欲しくない、哀れんでもほしくない、見えない恐怖を外部で大きくはやしたてて欲しくもない。自分たちは今ある現実の中で今まで通りの日常を過ごしていたい。 そんなメッセージがあのさわやかな風の中に感じました。

閉ざされたシャッターが並ぶ商店街もなぜか美容室の数だけはやたら多い、この街にまた住みたい!そう考えても僕の業種はこの街にとって招かざる客であることは間違いないようです。いつまでも僕がまた住みたいと思わせる街であって欲しい、だから僕はこの街を永久に応援すると心に誓った半日間の短い滞在でした。

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