« 復興を想う | トップページ | 中国の扉 »

2012年6月 4日 (月)

いわきの風

いわき到着は深夜1:30でした。震災後、ようやく訪れることができました。郡山で生活している幼い頃からの大の仲良しの双子の従姉妹ともようやく会うことができました。彼女達のお父さんのお悔みのためにやってきたいわき、こうした機会でもなければまだまだ先になっていたことを思うと他界した伯父さんにはお別れのあいさつとともに呼んでくれてありがとうと感謝を伝えました。

お骨の帰宅とともに塩谷崎灯台から3km、いわきニュータウンの伯母の自宅に初めて足を運びました。有名な建築家がデザインをしたらしいモダンな邸宅には海からの気持ちのいいいわきの風がそそぎ、この何ともいえない心地良さこそが〝いわき〝であることを実感しました。ここから数十キロ先に今もなお世界を震撼させている第一原発が存在しているとはとても考えられません。久しぶりにあった福島の親戚の人達、きっともう放射能の恐怖の話は尽くしてしまったのでしょう。こうした話題には一切触れずに少ない時間を思い出話で過ごしました。きっと福島の方々は僕らが思ってるいる以上に今ここにある現実だけを直視して生活をしているのだと感じました。瓦礫の受け入れ拒否で騒動となっている市町村が放映されます、おそらく現地の人達はどっちともなく冷やかに見ているものと思います。そんなネタで騒ぎ立てて欲しくない、哀れんでもほしくない、見えない恐怖を外部で大きくはやしたてて欲しくもない。自分たちは今ある現実の中で今まで通りの日常を過ごしていたい。 そんなメッセージがあのさわやかな風の中に感じました。

閉ざされたシャッターが並ぶ商店街もなぜか美容室の数だけはやたら多い、この街にまた住みたい!そう考えても僕の業種はこの街にとって招かざる客であることは間違いないようです。いつまでも僕がまた住みたいと思わせる街であって欲しい、だから僕はこの街を永久に応援すると心に誓った半日間の短い滞在でした。

« 復興を想う | トップページ | 中国の扉 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: いわきの風:

« 復興を想う | トップページ | 中国の扉 »