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2012年9月24日 (月)

生きていく意味

死ぬ思いなんて一生涯にそう何度もあるものではないと思います。死ぬと思ったとき、本当に死んでしまった人の方が数多いかと思います。死ぬ思いをして生きている人達はきっとその後の生き方の重さが特別なものであるのだろうと思います。

3日前のレスリングの練習中に頭をぶつけた長男はおそらく脳振とうのような症状だったのだと思います。吐血がはじまると僕も相当焦り救急車をお願いすることとしました。本人は頭が痛いのに薄れゆく意識の中で血を吐いてる自分に相当な恐怖を感じ動揺したことだと思います。救急士の適切な処置で無事、横浜の病院に運ばれCTの結果、脳の異常は見られませんでした。眼の痛みや脱水症状のため3日間入院しました。本人いはく救急車の中で死ぬと思ったらしいです。劇団ひまわり顔負けのあの吐血の様子は僕も死んでしまうのではないかと思いました。

「死ぬ思いをしたのだからこれからは死んだつもりで何でも出来るじゃん、勉強とレスリング、めちゃくちゃがんばれるじゃん!」まだ痛みが残る息子への痛恨の一言で痛みがぶり返したようでした。。。

死ぬかもしれないと思ったとき、死にたくない、生きたいという懸命の想いだったように感じました。同じ13歳のいじめを苦に命を絶つ子どもたちは〝生きたくない〝からあの最強の恐怖である〝死〝を自ら選択してしまうくらい最強の恐怖以上に生きることが恐怖であったのかなと思うと心が苦しいです・・・。死ぬ思いを経験して生きてほしいです、でも、きっと生きていることが死ぬ思いだっただろうな・・・考えます・・・。

13歳のくせにときおり「人生がつまんねぇ。」とぼやく我が子が死にたくない〝生きたい〝という強い気持ちがあることを今回の件で確認できたとは親として安心しました。この貴重で大事な経験はつい先月、息子と行った衝撃の中国旅行以上だったかもしれません。そしてこの経験と引き換えに中国旅行2人分以上の入院費を本日病院に支払ってまいりました。。。個室じゃなくていいのに。。。

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