塩谷の岬
30年くらい前に家族で塩谷灯台へは上ったらしいのですがどうも記憶にありません。ひばりさんの歌碑にしろ当時は島倉千代子さんとの違いすらイマイチわかりませんでしたし。。。
41歳を迎えいよいよ"大人"の領域を知る男になりました。
まず「みだれ髪」に涙するようになりました。。。歌碑の前でフルフレーズを7回は斉唱しました。その間何度となく観光バスが停車してはたくさんの方が訪れては見送ること繰り返しました。マイカーで来てよかった。
次に塩谷灯台が本気で怖かったこと、大人になり"安全"に対しよりセンシティブになることで今ここにいることがどれだけ恐ろしいことかという危機管理能力が身についていたようで・・・展望台までの100段の階段を震えながら上り、箇所箇所で目に留まる張り紙には"もし地震がおきたら"と図解の注意書き、"手すりやフェンスに掴んでかがむ"とあるのですが根本が少し錆びた手すりとフェンスを見るだけで更なる変な震えがおきました。
一方で怖さを知らずバタバタ走る高校生集団、僕は確実に大人の階段を上っていました。
このエリアはいわき豊間地区というのですがその被害規模の大きさには衝撃でした。盛んな漁港ではなかったためさほど被害は伝えられていなかったのですがその津波の大きさは久之浜の比ではないくらいの印象でした。
このエリアも第一原発からは40kmくらいになるのでしょうか、その豊かな景色からは見ることの出来ない見えない恐怖に向き合いながらも60km圏内の福島の方々は希望に向かい、あの日を取り戻すべく歩み続けています。
カラオケで"みだれ髪"、完全攻略してからまた来ます。
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