6年目の久之浜へ
イギリス、EU離脱の大きな要因になったのが移民受け入れ政策での職の減少と治安悪化の懸念でした。
近頃の福島へは中通りと山通りばかりを攻めていました。震災から5年を過ぎた久之浜へ久しぶりに訪問してきました。
5年という節目に向かって行政手続き上とても慌ただしかった前回の3月の訪問とは一変、沿岸の工事と宅地の造成はずいぶんと頓挫しているように感じました。
この土地と国道6号には多くの作業員の方々が出入りをしています。震災前で人口5000人程度だったこの地区にも賑わいを感じます。パチンコ店もオープンしていました。
定年退職で時間のあった父親と初めてのからすや食堂訪問。4人掛けのテーブルに腰を下ろし普段ない親子の会話がはじまりかけた頃に3人の作業員が来店されました。おかみさんが気を使って僕らの隣には2人しか座れないということを伝えてくれましたが僕が「どうぞ」と言う前に「3人座れっぺ。」とすでに腰を据えておりました。きっと忙しいのでしょう、その1人は僕の隣で携帯電話で大きな会話を来店から食後までずっとしておりました。いつも笑顔の溢れるこの食堂ですがなにやら剣呑な感じでした。
ここがからすや食堂でなければ外で話してもらうよう喚起しているところです。
この街には復興を思い頑張っている作業員の方々がいます。
また、圏外から低賃金で雇われ不満を抱えながら作業をしている人たちもいます。
それらの方々と混在した生活が続いています、そしてこれからも続いていきます。
間もなく生まれ変わろうとする街。
その土地を愛して暮らす人。
その土地で暮らしたくて働く人。
その土地で働くために暮らす人。
生まれ変わっても暮らす方の心がこれまでどおりであればきっと誰もがこの土地を愛してしまうのだろうと思います。
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