31年前
1985年、31年前のお盆時期にもいわきにいました。
帰省中の列車の中で母が見ていた「フライデー」。そこに掲載されていた日航ジャンボ123便で犠牲となられた方が墜落までの32分間に手帳に記した家族への遺書。
その清書された文章を老眼で白内障のばあちゃんに小学6年生の僕は読み聞かせました。
ばちゃんは嗚咽しながらカセットデッキを取り出し、録音準備をはじめると「もう一度読んでくれ。」と嘆願してきました。
レコーディングのように 心を落ち着かせ、気持ちをこめて、ばあちゃんの心に響くように ご家族へ宛てた219文字の文章をゆっくりともう一度読み上げました。
ばあちゃんはさっきよりも甲高く、犬のように嗚咽していました。
もちろん僕も涙しました。11歳の僕はもしもこの文章が僕のお父さんの遺書であったなら。。。
そして自分が語る何かでばあちゃんをここまで泣かせたことと、ここまで泣くばあちゃんの姿に。。。
あれから31年。ばあちゃんの墓であの遺書を再び読んでみたいと思います。
父親となっている僕は今度は故人ご本人の気持ちとなって。。。
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