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2017年11月29日 (水)

語り から

そのお客様は大学でフランス語の講師をしているようです。
「店長さんは"忠臣蔵"はご存知?」
詳しくはありませんがもちろん大体のあらすじは説明出来ると思います。なんでもそのお客様は昨日の授業の中で19世紀の"シラノ ド ベルジュラッグ"という戯曲がどれくらいフランス国内で有名かを日本の"忠臣蔵"で例えたところ大学2年の生徒さんたちは忠臣蔵を知らず、余計にこんがらがってしまったということでした。。。

昨日は町田文学館ことばらんどにて宮内純子先生の"ペンの会"での講演に参加させていただきました。宮内先生はこれまでに児童文学で「白絹のワンピース」「青い風船」「ひがん花の赤いじゅうたん」を上梓されております。Sscn6263今回のお話は教員退職後の執筆活動と同時に活動していた"語り"についてでした。
各地域のこどもたちに昔ばなしなどを語り回っていたこれまでの活動で感じてきたこと、それまでの経緯などのお話しでした。途中「鳥呑爺」をお話ししてくださいました。
唄を歌うかのように流れるようにしかししっかりと語られます。 あー日本昔話だ・・・。

宮内さんの上梓された3作品はいずれも戦争体験ががテーマとなっています。それでいて重くなく大人も子どもも 心に涵養していくあの感覚は自らが"聞かせること"をたくさんの子どもたちに向き合ってきたからこそゆえにある作品であったのだと。納得です。

語る、聴く それらは生きていて そして生きていくこと

宮内先生はそのようにおっしゃっていました。

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2017年11月22日 (水)

浜風ルネサンス

こうして好きな街に降り立ち、おもいっきり息を吸い込み街の匂いを感じること。
あの時はこんなことすらできない気がしていました。
震災後、小さな呼吸をしていた理由は正直、放射線量が怖かったからです。。。

Sscn6239_2Sscn6231_2今回は全店撤去された"浜風商店街"跡地、その場所のある久之浜第一小学校、10月に新規オープンした理髪店スガハラさん。そんなこんなを確かめたかったです。
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小学校では子供たちが元気に体育の授業をしていました。
仮設商店街は蛻となっていましたがそこに残っているものはそれぞれの前に向かう再生とそれを応援してくれた日本中のパワーが集約したエネルギーの軌跡で満ちていました。
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外壁に書かれた竹原ピストルさんのメッセージ。通常、著名人の方は店内に書き込みするのですが、からすや食堂ではずっと現場の作業員の方だと思ってスルーしていたそうです。
竹原さん、紅白歌合戦出場おめでとうございます。Sscn6238小さなお店ですがスガハラ理容店もちゃんとオープンしてました。
71歳ですべてを失い、仮設営業終了後に引退するつもりでいました。
77歳からの再スタートを踏み切りました。この街では駅から海に向かってを"街"と呼びます。
街側ではないこの場所では日中の商店街の交流は仮設店舗時代のようにはありません。
「こんどは夫婦2人で1日中いねっかなんねぇからね。」
いやいやなんの素敵なこと、僕にとって見習うべきことばかり、これからもスガハラ先輩にはご指南いただきに参ります!Sscn6233今回一番大事な目的は"稲荷神社"にお礼参りすることでした。
語りきれないたくさんの力をいただき感謝の報告に参りました。

この場所を最初に祀った方々はどんな神様をイメージしていたのでしょうか・・・?
大津波にも流されなかった海岸沿いの神社。
この土地に暮らすそれぞれの願い、喜び、悲しみや犠牲、それぞれを攪拌し長い年月の中で人それぞれの更なる偶像となり、きっと人によって異なる神様が見えているものだと思います。

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昨日は12月の寒さと言いながらもここに来ると不思議と寒くありません。
海が好きなんです、そう言って問いかけられるのは「スキューバ?」「サーフィン?」「海釣り?」
波は怖いし、水は冷たいし、泳ぐのは疲れるし、
ただ見ているだけの海が好きななのです。Sscn6241
駅の待合で地元の中年女性が柏から来られているというご夫婦にお話ししていました。
行方不明の知り合いのおばさんは1回目の津波で自宅にバックを探しに戻り、30分後の2回目の津波にさらわれてしまったらしいです。「海外さ行きたい行きたい言ってたっけ波に乗って今はハワイさあたりにいるんだっぺさみんなでそれはそれでいいんでないかってことにしてるんだっけか。」
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街は賑やかで明るく、なにより活気に満ちていました。
願いはしていましたが正直、ここまでの再生は予測しておりませんでした。
未来など予測はできないものだと思っています。
予測はできなくても想いは想っていく方向に向かっていくものだということ、そうすることでやがては必然になるとということ 久ノ浜は教えてくれます。



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2017年11月16日 (木)

海の声

原発事故から6年半、第一原発の高濃度汚染水浄化後の処理水、現在80万tでタンクの数は600基(850基が並んでいます)となりました。
これらの処理水を原子力規制委員会では海へ放出することを進めています。
これに対しいわき漁業組合では更なる風評被害を懸念して反発をしております。

除去装置アルプスによってセシウムは除去できるのですが水素の放射性同位体であるトリチウムは水と分離できず除去することができません。
しかし、このトリチウムは人体への影響はとても少ないとされていて半減期も13年程度です。
今朝のニュース、原子力規制委員会・委員長は
「海に放出する以外、他に選択肢はないのだから東電はモタモタせずに説得を進めて早く行うべきだ。」と発言されておりました。
学歴のない僕には頭の良い方のおっしゃることがいつもわからないのです・・・。

いわきに足を運び 海の苦しみの音、怒りの色 この眼で訊き続けてきました。
その処理水が本当に安全なんだと言い切れるのであればいわきを説得するのではなく"東京の電力"でおきた事故水なのだから東京湾に放出できるよう都民を説得してみるべきではないでしょうか。
モタモタせずに。

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2017年11月 3日 (金)

学園祭にて

Sscn6173長男の大学学園祭を覗いてきました。
インドアな彼は 高校生時代も友達同士カラオケなどにも行ったことはありません。
大学生活がなじめるのか心配しておりました。
そんな彼が大学ではアカペラサークルに入っておりました。



彼は歌っていました。
居場所はあったようです。よかった。。。

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文化の日こそ

「お国の下に民がある国民という表現は使わない。」
女性向け総合生活雑誌"暮らしの手帖"初代編集長・花村安治はそう語っていたそうです。

日本国憲法公布から71年、民の上にあった国の主権は民衆そのものとなりました。
現在は3つの権利で国民による立憲という社会が成り立っています。
あの時代、国の上に軍という文字がありました・・・。
"自衛隊"という呼称は日本独自のものです。国際社会で解釈した場合は軍隊という位置づけになるものと思います。
その国際社会でいう軍隊が憲法によって権利が成立した場合のその統括は防衛大臣、最高権力は内閣総理大臣となり国民からは切り離される仕組みとなります。

1941年、全政党が解散し大政翼賛会という軍事政権が結成されました。
その大政翼賛会で当時、戦争高揚への国策宣伝を担当していた花森安治は
「これからはだまされない、だまされない人たちをふやしていく。」
戦後100万部以上の読者をつかんだ暮らしの手帖とはそのような思いで創刊された雑誌であったようです。

Hanamori

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2017年11月 1日 (水)

文化の日に

11月3日、文化の日。
71年前に日本国憲法が公布され日本中が熱狂した日でありました。
敗戦後、GHQによって恫喝的に作成された印象をもつこの憲法ですがアメリカ憲法、フランス憲法、ドイツ基本法を凌ぐ最高傑作であると思います。
当時のマッカーサーは敗戦でありながら牙をむき出しにした260万の虚無主義兵力が存在する日本を統治することは容易ではないと感じたはずです(大国アメリカに宣戦攻撃を仕掛けた国は未だ日本だけです)。神のために命を投げ出す日本人へ本当の終戦を告げるために日本人に配慮しながらギリギリに草案され、日本人にとっては占領国に忖度しない(白洲次郎氏など)日本人による日本人のための憲法であったのではないかと思います。
この草案作成に関わった20数人のGHQ民生局員は専門学者ではない多彩な経歴をもつ人達で構成されていました。女性民生委員ベアテ・シロタ・ゴートン「両性の平等」を24条に盛り込み、戦後はじめて女性が社会の権利を得ることができました。ベアテ氏が当時22歳であったこともあり"つくられた起草者"と揶揄されたりもしますが誰が起草しようが憲法により女性の社会権利が生まれ、この草案がなければ女性の地位は明治のままであったと思います。
1946年、2月26日に11か国からなる極東員会の占領政策の決定、この期日前に憲法がまとまっていなければ占領下としての憲法がつくられ現在の日本国民のための憲法とは到底かけ離れたものになっていたはずです。
問題視されている第9条への自衛隊明記ですが本来マッカーサーの草案には"自衛戦争の放棄"を含んでいたのですが国会により"国際紛争を解決する手段としては武力の行使を放棄する"とされました。これにより自衛のための戦力保持の解釈の余地を残してあります。
占領国によってつくられたものではなく日本人がつくった文言なのです。
迫りくる隣国の脅威。
この部分に自衛戦争OKを明記し対抗措置をするのか、これまで認めてきたとおり合憲解釈のまま日本人の英知で対応していくのか。

この美しき"日本国憲法"秋の夜長に改めて心酔していきたいです。

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