2018年11月25日 (日)

昭和64年から

1週間が過ぎ。
先週の今頃、僕は夢を見ていました。
優勝者は天皇杯出場、天皇杯優勝は東京オリンピック代表へと繋がる、そんな社会人レスリングオープン大会において1勝でもあげれれば自分の何かが変われるはずだと強い気持ちで臨みました。
間違いなく風は吹いていました。超強豪選手はトーナメントの別の山でぶつかり合い、僕の山の強豪戦手は怪我で危険、シードの僕が迎える初戦は知名度の薄弱選手。
見えない力が最強のお膳立てをしてくれて。
あとは銀メダル奪取。
まさかの興奮状態でした。
そんな中での初戦敗退に頭の中の整理に時間がかかっているところでございます。
"完全なる不完全"。これまでの試合とは違い緊張もなく、自分の試合をモニターで見るかのように俯瞰できました。やるべきことがすべてわかっているのに身体が指令を訊いてくれない、動いてくれない、そんな中でも動けるトレーニングをしてきたはずなのに身体は応えてくれない。
この状態が本当の今の自分、 これ以上の自分はなくこれからもない。そう思えた大会になりました。
やりきったとは答えがたいのですがはっきりと区切りはつきました。
30年前、中学3年生の昭和最後の年に進路のすべてを投げ出して、あのときにこうしていればという思い、後悔の念を日々抱えながらこの齢ととなり。
平成最後の年にその答えをやっと見つけることできました。
誰かにここまでしてもらい、たくさんに支えられ、やればできるよ、君ならできたよ、俺ならできる そう思い込み続けて。
結果、今いる自分が自分以外何者でもなくおそらくこの30年が違う道のりであったとしても今の自分であったのだろうなぁと。。。

そして僕にとっての夢は叶えるものではなく見続けていくものである ということ。

怪我だらけの体をしっかり修復して迫りくる年末にはこれまで以上、ガッツリと仕事に励もうと思います。



| コメント (0) | トラックバック (0)

2017年10月23日 (月)

人生の通行証

Img_0062諦めて、投げ出して、裏切り続けた半生でした。。。

2009年に初トライ。優勝して段位獲得を達成したらレスリングをやめようと思っていました。
獲れそうで獲れない年代が過ぎ、20代の若手との力の差もはっきり感じ、段位獲得は断念しました。ただしレスリングは続け、大会への挑戦は続けていこう、そう決意しました。
諦めることを諦める人生にしたかっただけです。。。

いつも何かに助けられ、何かに与えられ。

昨日行われた社会人段別レスリング選手権、運の力で優勝することが出来ました。

"努力は報われる。"不思議なその力はそうは僕に思わせてはくれないのです。

レスリングの証明になるはずだと思っていたこのタイトルはどうやら僕の遅れた人生の通行証であるようです。

不思議な力と僕をサポートしてくれたたくさんの人たち、

もう僕は諦めません、投げ出しません、裏切りません。。。

レスリングと木口道場からやっと何かの入口が見えてきました。

Rscn6167

| コメント (0) | トラックバック (0)

2017年1月24日 (火)

ゴッド・ファーザー

木口道場、代表の押田コーチは法政大レスリング部の監督も務めている65歳です。
レスリングの世界ではもちろんのこと、多くの世界ランカーも含めた若手格闘家の方々の間からも"ボス"と慕われています。僕自身、10年以上ご指導いただいておりますが後輩の方々のボスへの畏敬な振る舞いから現役時代のボスを想像することしかできません。しかし全日本などの経歴だけをたどるとそれほど華々しいものでもないようです。。。
先日行われた全日本マスターズレスリング選手権。セコンドには大晦日にK1ファイターの魔裟斗選手とTBS立ち技特別ルールにフルラウンドお付き合いした元・PRIDE世界王者の五味選手がわざわざボスのセコンドのためだけにに駆けつけていることだけでボスのスゴサを感じます。
決勝の相手は4歳若い61歳。現役時代には全日本選手権を制していてオリンピック日本代表経験を持つ超一流選手。この階級のウエイトには届かなかったボスとは相対的に減量調整で臨まれたお相手の選手。
青のシングレットのボスの勝算は乏しいけれどもその雄姿をこの目に焼き付けておこうと思っておりました。

やっぱりボスはすごかった。
同時に行われていた後方のマットではジャングルポケットの人が試合をしていて芸能人数名も応援の様子をTV撮影中でした。
そちらに注目をしてボスの試合を見逃している大勢の会場の方々、なんてもったいない。。。
Sscn5562

この大会、僕、自分の結果はというと・・・。
。。。いいんです、これから始まる1年にその"勝負強さ"をボスから叩き込んでいただけば。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2016年1月27日 (水)

全日本マスターズを終えて

「強豪相手にちゃんとレスリングしてたよ!」

指導を受けて12年、西野コーチからかけて戴いた試合後の言葉。。。やってよかった。やっててよかった。

右肩腱板損傷、左肩鎖関節損傷、1週間前まで今回の゛全日本マスターズレスリング大会゛の出場否かを悩んでいました。学生時代に体をいじめ抜いてきた40代の今大会出場選手たち、そんな中で何の鍛錬もせずに10代、20代を平然と過ごしてきた自分にとってのレスリングがいつの間にか生きがいになっていて、だからこれからは自分に与えられた体は生きていくために使っていくのではなく生きがいのために使っていくこと・・・ 僕のフィロソフィーです。

準決勝は完敗でしたが゛攻める゛気持ちは折れていませんでした。全日本クラスが顔を揃えたクラスの中での3位入賞、今回ばかりは胸を張ろうと思います。

相手選手サポーターの侮蔑な声が。。。

Sscn4686

Sscn4688引率の長男は憧れの元PRIDE王者(現UFC)・五味選手との再会に大興奮でした。

ちなみに長男は毎日欠かすことなくスマホで過去の五味選手の試合動画を観戦しています。Sscn4691

 

| コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月27日 (土)

木口道場2014

Sscn3380週1回だけ通うレスリング金曜練習。2014年、今年最後の練習を終えました。
振り返るとものすごい年でした。。。
木口道場44年の歴史。健康上の理由から木口会長が退き、玉川学園道場を閉鎖しました。コーチ陣で何とかその歴史ある看板を支えようと鶴川の錬成塾を間借りしてのリスタートとなりました。丁度その頃、高校へと入学をした息子はサッカー部としてのスタートに専念するため木口道場から退きました。
残った僕は・・・
段位別での優勝という揺るぎない目標があったので息子がいなくてもそれまでは続けよう。

折しもその目標は達成できませんでした。しかしそれによりもっと大きな目標がはっきりしました。
木口道場を永遠に続けて行く。そして年齢関係なく強くなっていくことを目指す。

木口道場の大きな転換期であった2014年は僕にとっても大きな転換期でもありました。
これからの人生はいつもレスリングとセットです。

I LOVE レスリング I LOVE 木口道場。Sscn3382


Sscn3383


| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月25日 (月)

その先のエクスタシー

2ピリオド残り1分、5-7で2点を追う状況、セコンドコーチのアドバイス「タックル1本決めれば追い付くよ!」 仮に追い付いてもその後動けないし。。。 「相手もバテてるよ!」僕の方が100倍バテてるし。。。 応援の息子もアドバイス「フェイント使って動いて!」 フェイント使って動いたら足がもつれてこけそうだし。。。
最後の力でタックルいった、いなされた、倒された、抑えられた。さほど圧力は感じなかった、フルパワーを使えば返せる、でも返したところできっとその後立てないし・・・いいや、また来年トライしよ。。。たった数秒のアクションの中で自分の中でのやりとりをはっきりと記憶しています。。。

昨日のレスリング段別選手権大会初段以下の部決勝戦、そこまで見えた光はまたしても消えてしまいました。試合に臨むまでの長い緊張の日々、とくに僕にとっては体調管理と怪我に神経をとがらせていた毎日でした。そして試合翌日の今日、バキバキの筋肉疲労のなか昨日の休業日の穴を埋めるべく倍返しのお客様対応数。たった一日の大会に出場するためには計り知れないほどのリスクを要します。それでも今日からまた挑戦の日々が始まります。24歳の対戦相手より劣っていたものはスタミナだけだと思っています。勝ちたい気持ちも負けましたがやはりそれはスタミナ不足が引き起こした気持ちの弱さだと思います。来年は40歳の挑戦となります、昨日の自分よりもう少し強い自分に向かってのスタートです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2013年11月10日 (日)

永遠のエクスタシー

人生最高のエクスタシ―は〝自己達成〝の瞬間かと思います。
その形は様々だとは思います。おそらく僕の同世代の大半の方は成果、評価、報酬など仕事による自己達成ではないでしょうか?こんな僕にも仕事の上での目標はたくさんあります。お客様の満足度を上げて評価をいただきたい、収益を上げれるようもう少し展開したい、弟のいる上海に1日も早く進出したい・・・仮にそれ全てが叶ったとして最高のエクスタシ―を味わえるのだろうか?なぜかあまり胸は高鳴らない。。。

2009年全国社会人レスリング段別大会、35歳、人生の中で一番強かった自分だったと思います。主導権を握る優勢な試合の中でほんの少しの過信でひっくり返され敗退。リベンジを挑んだ2010年大会では指の粉砕骨折、試合3日前の鼻骨骨折、力を発揮することなくまたしても敗退。いずれの対戦相手2人はその後の3試合をなんなく勝ち抜き優勝、段位2段の称号を手中に収めていました。怪我での仕事への支障を考えこの大会を最後にレスリングは封印しました。
昨年、息子の木口道場への再入門を機に僕もゆるく再開しました。大会での敗退の悔しさ、レスリングから離れている淋しさ、苦しみぬいた2年間でした。2か月後に40歳を迎える僕の体は35歳の自分からはかなり衰えているはずです、でもあの頃よりもより目標達成に向かっていることレスリングが出来てること、うれしくて肉体が弾んでいるように感じます。全国社会人レスリング段別大会、2週間後の11月23日は3年ぶり、3度目の挑戦となります。過去2回の大会との大きな違い、それは目的のライバルがいるということ、35歳の自分という。。。

ガキ大将、強かった幼少期。強さがなんだかわからず迷走した10代。強さを夢見ていた自分さえ消え去った20代。木口道場に出会えた30代。
 
「肉体の強さがあってこそ精神的な強さは養われる。」還暦をすぎたムキムキな創設者のこの言葉でヤサイ自分の心の奥に潜んでいた何かがはちきれました。
10代、自分の限られたスペックの中で仕方なく選択した美容師というカード、もちろん誇りは持っています、生涯これで生きていくとも決めています。しかし夢を語るとなると。。。

〝もっと強くなりたい〝という想い、無敵だった保育園の幼少期からずっと僕の心の核となり今の自分を形成しているのだと思います。 何に対して強くなりたいのだろう?強かった頃のあの頃の自分より。。。35歳の自分より。。。昨日の自分より。。。そして明日は今日の自分より。。。  これからもずっと永遠に強さを夢見る自分のままでいたいです。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月11日 (月)

未来へのタックル。

大好きなヨーロッパサッカー、世界のファンタジスタが決めるそのビューティフルゴールはまさに芸術。そのス―パーゴールに勝るとも劣らないのがレスリングの正面タックルだと思ってます。体と体でせめぎ合う超圧力の中、超高速での一瞬のタイミングで鍵がはまるようなあの感触・・・。鳥肌ものです・・・

水戸で行われた全国中学生レスリング大会、4年ぶりにレスリングを再開して2か月、この場違いな大舞台に我が息子が木口道場のコーチ陣の温かい後押しにより出場させていただく運びとなりました。僕自身、このような全日本の舞台に選手の父親として参加出来たことだけでお腹いっぱいで苦しくなってしまいました。息子の出場階級にはなんと全75選手。プログラムを見たら目が回りました。2分間3ピリオドのトーナメント方式、大半が1学年上の3年生、運良く1勝でもできればと思って会場に向かったはずだったのですが・・・。1回戦であたった岡山の3年生、完全に力負けで1ピリオドで6失点、迎えた2ピリオド、渾身のタックルに入り抑え込まれ力尽きてのフォール負け。見事に散りました。。。。試合を振り返り、来年への経験としては最少失点で粘り3ピリオドフルに戦い抜いた方がよかったのか、フォールで終わったとしてもタックルに行けたことが良かったのか・・・?

自分を振り返りあのときああしておけばということだらけの人生のように思います。突発行動の性格上何事も突っ込んで自滅してきたことが圧倒的に多いです。「何であのときあんなことしたんだろう…。」 しかしながら数少ない「なぜ、あのときにしなかったのだろう?」というしなかった後悔はしてしまった後悔の数倍の悔いが残っています。何ともいえない胸に閊える濁った後味の悪さは思い出すたびに苦しくなります。。。。

水戸の会場、往復7時間。息子1人の出場のために多忙な木口道場最強のコーチ陣4人にご参加いただき・・・。試合時間はわずか3分間・・・・。ビデオに収めたたった3分間ですがこの映像は僕の宝物になります。無残に散ったあのタックルは13歳の息子にとって来年のこの舞台へと、そして5年、7年、10年、社会というもっと大きな勝ち抜き戦の舞台へ立ち向かうとき その扉をこじ開けるための材料として何度も再生して息子と共に見直していきたいです。 

P5311424


P5311422

P5311423



P6011424

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月21日 (日)

新しい朝

何の未練のない清々しい朝でした。昨日の社会人段別レスリング選手権、昨年のリベンジは果たせず初戦で散りました。マットに上がる直前のいつもの恐怖感はなく、なぜかマットに上がり相手選手と戦う前に長かった自分との闘いが終わった安心感に包まれてしまいました。相手選手には失礼ではあるのですが昨年の自分であれば問題なく勝てたように思います。まず、昨年の自分に勝つことが出来なかった・・・はたして僕は何と戦ってきたのだろう?「もう1度やれば勝てる!」試合後に必ず沸き起こるスピリットはもう全くありませんでした。かといって試合には負けたのですが負けた気はしていません。3日前に折れた鼻も再び曲がるつもりで挑みました。他試合を観戦していてどの試合もあれほど鼻にグイグイ当たっているのにそんな時ほど大丈夫なものでした。1年間、何よりも欲しくてたまらなかった〝2段〝の称号、ついに手中に収めることは出来ませんでした・・・。でも、形にはない数えきれないものを得た満足感でいっぱいです。形に残ったものもあります。曲がらなくなった人差し指と歪んでしまった鼻・・・。

さて、暮れも迫り慌ただしくなります。鼻の骨折前には突然お店のパソコンが壊れました。仕事が山積みです。何かに耽っている場合ではなさそうです。趣味・家庭・仕事、どれか1つに比重が高いとその他2つに与える歪の大きさもまじまじと学習しました。何事もバランスが1番大事なのですね。そう、レスリングもそうだった・・・。

| コメント (0) | トラックバック (0)

2010年11月19日 (金)

運命に・・・

今年、最も多く怪我をした人に贈られる賞があるとすれば僕は確実にノミネートされるでしょう。。。

格闘技を通してこの怪我だけはしたくないという1つが鼻の骨折です。曲がった鼻を治すには金属の棒を鼻の穴に通して力ずくで戻すその拷問のような施術を"整復術"というらしいです。それはそれは痛みに強い格闘家の方々も悲鳴をあげるとのこと・・・。

自分にとってレスリング最後の試合を3日前に控えた水曜日の午後10時、北口にある〝ただ接骨院さん〝でまさにその局面に僕はいました。噂通りの痛みでした・・・。ただ、それ以上に痛いのは心の痛みでした・・・。頭の傷も抜糸が終わり、残された練習日でガッツりと試合のシュミレーション出来るのは今日しかないと意気込んだ不運でした。経験豊富な院長の神の手により僕の曲がった鼻は何とか戻りました。さて、3日後の試合はどうするか・・・。通常、固定までは2週間かかるそうです。事情を説明し、柔道を卓越されているらしい院長は僕の特別な思いを悟り「出るべきですよ!また、曲がるけどまた、戻しますよ!」とアツイ励ましのお言葉を・・・   えぇxxxxx!?

たくさんの方に厄払いを勧められます。ここまできて厄払い後に状況が好転することとなったら、きっと僕は出家してしまうのでしょう。今までの不慮な出来事は全て必然であると信じていきたい。もし、明日の試合がたった2分で負けて終わってしまっても、もしも、また、鼻が曲がったとしても、もしも、また、骨折をしてしまったとしても・・・。運命を受け入れる覚悟はできています。この1年間の思いから出場しない後悔と比べればさほど苦しいことではないと確信しています。今まで起こったこと、これから起こりうるすべてのこと、36歳、人生の折り返し地点のスタートライン、これから先の長い人生の中ですべてが必然であったと・・・そう思えるはずと信じて人生の折り返しスタートである明日という日を迎えたいと思います。

| コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧